日本で初の、戯曲「梁祝」舞台公演に向けて 戯曲「梁祝」作者/古野浩昭の日誌
4月1日、公演日が決まった。10月3日(土)昼、夜の2回公演。会場は鎌倉生涯学習センター(きらら鎌倉)ホール(定員280人)。JR鎌倉駅から徒歩2分、至近距離の好立地だ。翌2日、2009年度「第四回鎌倉芸術祭実行委員会」の松本淳会長から「エントリー資格に問題はない」と直接、伝達され、近日中に芸術祭参加が確定する見通しだ。これで、当初予定通り、鎌倉市、鎌倉市日中友好協会、神奈川県日中友好協会からの後援取り付けに加え、すべてのお膳立てが整い、わが国初の中国民話劇「梁祝」公演に向けてスパートがかかる。私にとっては‘乾坤一擲'の大勝負だ。
4月4日。その公演会場建物4F集会室で「梁祝」の読み合わせ。実行委の制作マネージャー兼キャストの準主役を演じることになっていた中泉が病気のため降板したため、配役の入れ替えが必要だ。幸い、オーディションでキャストに決まっていながら別の公演にかかわって稽古に入れなかった鳥井まり(明治座アカデミー卒)がこの日から姿を見せ、キャストのリシャッフルに、うまくタイミングがあった。
この日の稽古には、モスクワボリショイバレー学校でバレーを学んだ大徳隆子さん(大ちゃん)も初めて姿を見せてくれた。バレーと「梁祝」の‘コラボ'を目指し、舞台の最終シーンで祝英台が梁山伯の墓に飛び込んだ後、二羽の蝶に変身し、天上で飛翔するシーン(天上の舞)をバレーで表現してもらうことにしている。現在、相手方の男性バレーダンサーを懸命に探しているが、ボランティアで参加してもらうため、交渉が難航している。相手が見つからなければ、バレーはカットすることになる。