戯曲梁祝 戊子盛夏梦羲題記




日本で初の、戯曲「梁祝」舞台公演に向けて


戯曲「梁祝」作者/古野浩昭の日誌

梁祝文化研究所
戯曲「梁祝」舞台公演実行委員会(鎌倉市日中友好協会、神奈川県日中友好協会会員)
「梁祝」日誌10

「梁祝」には‘暗号'がいっぱいある。周恩来は1956年、戯曲「梁祝」を観劇した後、こんな感想を述べている。
「この物語は単なる悲劇に終わっていない。それどころか、人民の理想も描かれている。ゆえに、シェークスピアの‘ロミオとジュリエット'を超えている」と。周恩来の‘理想'は何を意味するのか。新中国(中華人民共和国)建国からわずか8年、毛沢東の指導下、「大躍進」に向けて国中が大きく動こうとした頃の理想。「梁祝」の若い男女が封建的な旧体制のしがらみを断ち、愛を貫くという理想。この二つを渾然一体と融和させ、新中国の新しい理想に重ねたのだろう。

歴史はその通りには動かなかったが、毛沢東、周恩来の後に登場したトウ少平の‘改革開放'で「梁祝」は再び、息を吹き返した。この30年間で中国や香港の映画、舞台で「梁祝」が上映、公演された回数は数知れない。バイオリン協奏曲「梁祝」(1958年作曲)も復活。自由な空気をいっぱい吸った「梁祝」は、メディアを通じて国内外に一層浸透し、クラッシックバレー、フィギュアスケートにも採用される。
指揮者の小澤征爾が1987年、このコンチェルトを聞いて「大変、敬虔な曲。ひざまずいて聴かねばならない」と言ったのは有名な話。「梁祝」は、いつのまにか‘改革開放'の理想に変身を遂げたようだ(バイオリニストの西崎崇子さんは、この曲を世界に広めた功績で、「梁祝」初演50周年のことし5月末、北京の人民大会堂に招かれ、盛大な記念コンサートを開いたばかり−中国国際放送)。

「梁祝」がこれほど有名なのに、なぜ日本で知られていないのか。その物語−恋人同士が死んでつがいの蝶に変身、やっと想いを遂げる−は誰にでも理解できる話。音楽は小沢が評したように普遍的。どこにも日本人が嫌う要素は見当たらない。それでも中国的という理由だけで敬遠されるのか?あるいは永年、政治優先で中国の文化面での報道が足りず、日本人の目に触れる機会が少なかっただけか―。

そういう思いを込めて、10月3日、鎌倉で本邦初演となる、われらが戯曲「梁祝」。1950年、フランスの詩人ジャン・コクトーが映画史に残る監督作品「オルフェ」(ジャン・マレー主演)で見せたシーン。死んで黄泉の世界に住む恋人を連れ戻そうと大きな鏡を通過して現世から死後の世界に入っていく場面をこの「梁祝」で再現させることが可能か。つがいの蝶が、天上で舞う姿をバレーで表現できるかどうか。挑戦は果てしない−。

6月20日(土)の鎌倉での稽古は、重点場面における俳優の役柄への一体化、スタニスラフスキーが‘communion' と呼んだ方策を考えていきたい。

(続く)
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