戯曲梁祝 戊子盛夏梦羲題記




日本で初の、戯曲「梁祝」舞台公演に向けて


戯曲「梁祝」作者/古野浩昭の日誌

梁祝文化研究所
戯曲「梁祝」舞台公演実行委員会(鎌倉市日中友好協会、神奈川県日中友好協会会員)
「梁祝」日誌19

8月8日午後5時。大船行政センター。前日の夕暮れ、鎌倉・由比ヶ浜・海浜公園で祝夫人役(大隅美和子)の‘特訓'をやった翌日。全員の稽古が始まる午後6時前に‘おさらい'の立ち稽古。舞台経験のやや乏しい大隅が‘板'上で役者同士がお互いに台詞を交わす場合に、必ずしも相手方の顔を見る必要はないことを初めて悟ったのか、客席目がけて語り、表情をあらわにしてきた。最近、声が小さくなりがちだったので、前を向く台詞は、声を大きくする。‘チョイ見に、正面、再チョイ'でOKというんだから、これを学んだ役者にとっては、‘おいしい'テクニックとなる。どうやらコツをつかんだらしく、早くも舞台役者らしく見えてきたから不思議。後は、前に、横に、自由に動いて、他の役者との間合い、立ち位置、バランスを自然に取れればサマになる。

午後7時。周世章役(鈴木英二)の案内で稽古参観に来た俳優の寺泉憲が、稽古場入り。鈴木の大学時代の同輩、綿引真知子を同伴してきた。プロのベテラン俳優の登場に、サッと、役者の顔に緊張が走る。テラ(寺泉の愛称)と綿引はは、一足先に稽古を観に来た「日中友好クラブ(川崎)」の尾崎隆一さんと並んで正面前列の私の隣の席へ。寺泉は私の母校、慶応・英語会でドラマ(英語劇)を一緒にやった仲間。鈴木、綿引は、ともに同じサークルの1年後輩だ。

約2時間、場面ごとの‘立ち'をやり、前後してテラにコメントを求めた。「台本も前もって読ませてもらってないので役者の演技については何とも言えない(ちょっとお冠むり)。ただ、道具(小道具)について役者の‘みなし'の仕草で使っているように見せているのか、そうでないのかがハッキリしない。二、三の実物の小道具を使うのなら‘通して'すべて実物を使うか、あるいは、すべての実物の小道具を放棄して、すべて演技で使っているような仕草で処理する、という風に統一したほうがいい」−。なるほど、この意見は傾聴に値する。いずれ、決断を迫られるだろう。

9時半、稽古が終った。久しぶりに熱の入った役者の演技。‘テラ効果'は歴然。みんなで大船駅そばの居酒屋「七福水産」に。酒が入ったテラ曰く「英二の出る場面(杭州の塾の場)。あのままじゃ、つまらない。シェークスピアの舞台でも女が男に化けて、それを知らない男がその女の体を男と思って触ってしまうシーンがよくある。触られた(男に化けた)女が、そのときハッと女に戻った仕草をする。観客の爆笑―。これは舞台構成上の一種の caricature で、ひと息つける場。悲劇の場合でも、これは舞台構成上なくてはならないシーン。どう?」―。面白い提案かもしれない。午後11時前、帰宅時間になったテラが、主役の青井(梁祝舞台で男役に変装する)に目配せして席を立った。俳優業からウイングを広げ、銀座でジャズを唄いだしたテラの健闘を祈りたい。

(続く)
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