梁祝研究の現状

リャンチュウ(梁祝)墳墓十ヶ所
               
全国に十ヶ所の墳墓があるというより所は、周静書の≪リャンチュウ文化大観≫(故事歌謡の巻)の中の
全国リャンチュウ古跡一覧表に、すべてで十ヶ所のリャンチュウ墳墓が存在するという記載による。

その十ヶ所は、
1. 浙江省寧波イン県高橋(現リャンチュウ梁祝文化公園)
2.江蘇省宣興市碧鮮庵(琴剣塚)
3.河北省河間県林鎮 
4.山東省微山馬坡墳墓(現在すでに壊れている)
5.山東省嘉祥県墳墓
6.河南省汝南馬村 
7.江蘇省江都県 
8.安徽省舒城梅心駅 
9.四川省(現重慶)合川市 
10.甘粛省清水県、以上である。

筆者が読んだ各資料、論文の中で学者達はほぼだいたいリャンチュウ墳墓が十ヶ所ということに関してはおしなべて同じである。筆者が思うには、自ら確かめることなくどれかの記載をお互いに抜粋引用してしているにすぎない。けれども誰も実際には確認せず十ヶ所としているにすぎない。けれども“十ヶ所のリャンチュウ墳墓は九ヶ所が偽物である”と言うことができる。と言うことになると、いったいどこが本当の遺跡か? 未だ誰もこの一覧表の十ヶ所の真実を明らかにしたものはいない、更にはきわめて不可欠な実地踏査の証明がない。

そこでこの空隙を埋めるため、筆者は自らこの十ヶ所の墳墓が存在するという伝説の地を訪ね、自らの実地踏査、研究により真相を理解したいと考え他のである。
筆者が行った「中国人の意識における“リャンチュウ(梁祝)伝説”」というアンケート調査が示していることに基づけば、現在に至るまで大多数の人は全てリャンチュウ故事をただ単に愛情伝説とみなしているのであるが、けれどもリャンシャンボ゙の偉大な清廉な役人像を知り、併せてその中から中国の数千年にわたる文化伝統の精神を認識することはとても意義のあることではないだろうか?
それにしてもどうして中国各地に十ヶ所、もしかするともっと多くの場所にリャンチュウ梁祝の墳墓が有るとみな公言するのか?
筆者は各種の文献や資料を読み進む中で、ひとつとても興味を持った口承伝説がある。これは寧波一帯に伝播している、チュウインタイとリャンシャンボがあの世で結ばれるという伝説である。

「チュウインタイ祝英台とリャンシャンボ梁山伯があの世で結ばれることになった事は、都会の杭州の大きな学校にも伝わってきた。この学校には360名の学生が東西南北、全国各地からやって来て在籍していた。先生はある日「リャンシャンボとチュウインタイ」と言う題名で学生に作文を書かせることにした。学生達は各自思い通りにそれぞれの腕をふるって,全員が一編ずつ書き上げた。この360編の文章はそれぞれみな内容が異なっていたが、その後各地に流布するようになった。これこそが現在全国各地に伝わるいろいろな種類のリャンチュウ愛情故事であるが、時の移ろいの中で、本当の話がわからなくなり、各地の人はみなリャンシャンボとチュウインタイが自分たちの土地のもの言っているのである」と。

リャンシャンボは一人の年若い有為な地方の役人であり、ひたすら民衆のために尽くし最後は任務の途中亡くなるのである、しかるにチュウインタイは愛情、忠節を貫き通し、死してもリャンシャンボに殉じた。彼ら二人の出来事は当時の人々に計り知れない衝撃を与えたのである。特に学問のある人(知識人)というこの一群の人達から言わせれば、彼らもまたこの同じ年代にリャンシャンボ・チュウインタイと同じように十年余に及ぶ勉学の苦難をなめ、いつの日にかは自らの理想を実現しようと希望している同じ条件に置かれていたのである。
この年に杭州の近くであったリャンシャンボ゙が清廉な役人としてなした事績を思い起こし、また更にはリャンシャンボの高尚なあの感嘆“男子たるものはこの世にあっては立派な(清廉潔白)な役人となり、さらに死後も人々の尊敬を受ける人になるべきであり、(思う女性と結婚できないという)こんな小さな事は取るに足りない事である”は彼らをして尊敬してやまないことであった。

リャンチュウ梁祝が三年間共に勉強し共に励ました友情、忠節を守りぬいた愛情にもまた彼らは感動してやまず、心に刻まねばならぬ事であった。もしかしてこれらの知識人(学生)は学業終了後、全国各地に赴き役人となり位を極めるとしたら、彼らは勿論現実の社会の暗黒と混乱の場面に向き合わざるを得ないとしても、ひいては腐敗に対し頭を垂れ、向き合わざるを得ないとしても、しかしながら彼らはどうしても、彼らが学校生活しているこの時の、このリャンチュウ二人の故事は忘れることが出来ないほど衝撃的であり、励ましと感動をあたえた。

そこで良心の咎めや、そう有らねばならない役人の理想像として、彼ら二人のために廟やお寺、記念の石碑を建造したのである。たぶん当時の朝廷は腐敗していたかもしれないが、彼らはこの感動を忘れず何はばかることなく、リャンシャンボの清廉な役人としての事績を広く宣伝したのであるが、リャンチュウ二人の愛情故事の方がことさらに強調され、後の世に伝わり続けたのである。これがもしかすると全国にかくも多くの墳墓が出現した理由かもしれない。結果として信じられるかどうかはさておくとして,これはさらに筆者の深い吟味を待ってほしい。

けれども,1000人の読者は1000人のシェークスピア(批評家)である。リャンチュウ愛情伝説はとどのつまり真実の歴史か単なる伝説か?これは結局愛情故事あるいは清廉潔白な役人の故事?これらはすべて読者の、吟味、判断を待たなければならない。筆者がここに書いたものは単に自ら文献を読み、実地踏査した過程において見聞した限りにおいて引き出した観点、考え方であり,不十分の誹りは免れない、筆者は、この後さらに機会が有ればもっと深く研究し、そこから再度より大きな収穫を手にしたいと心から願うのである。

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