発刊本紹介
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相田翔子さんの
帯のコメントより
中国新聞社による、渡辺明次氏へのインタビュー
 
第一弾「真実性を追う」 第四章:梁山泊と祝英台の人物分析
 

梁山伯リャンシャンボは、人生の理想実現の旅に一人で踏み出したのである。それではこの時の祝英台チュウインタイはどのような状況におかれていたのか?

彼(女)はかってリャンシャンボと三年間の同窓生活を送りかつまた二人とも純粋な青年として大志を抱いた。特に彼女は女性の身でこの様に努力した。これはとても敬服させられる事である。しかし当時の封建社会の束縛の下では、彼女は父母が決めた結婚に反抗する方法が無く、ただただリャンシャンボが一人死を賭して離れていくのを看ているだけでどうすることも出来なかったのである。チュウインタイはリャンシャンボと一緒に彼らの共同の理想を実現する手だてが無かったのである、しかし彼女は彼に後れを取ることを潔しとしなかったと推測する。 

もしかすると、チュウインタイは当地で向学の心ある子供達や村人達を集め、農民らに本を読ませ、文字を教え、啓蒙活動を実践し、彼らに向かって学校で学んだ考え方を喧伝し、その見返りとして当然のこととして、周囲の民衆の尊敬を得たのである。だから全国にかくも多く敬愛してやまないチュウインタイの学問所があるのではないだろうか。彼女はこの様な方法で、リャンシャンボと一緒に理想を実現するために戦っているという思いを共有しようとしたのである。筆者は、チュウインタイは実際に意志の堅固で目覚めた女性であり、貧しい民衆に知識を授け、未来に対ししっかりとした自らの心づもりが有った。また女性でも可能な実践活動をリャンシャンボがたった一年で亡くなることがなかったら結婚後もするつもりではなかったのかと推測するのである。しかしなんとも惜しいことに僅か一年

必ず自らの理想を実現すると彼(女)チュウインタイに言ったと思える。けれどもその後、思いもよらないことに、わずか一年で任務の途中に疲労が重なり病気になり、自らの理想に命を捧げて亡くなってしまったのである。

チュウインタイはこの知らせを聞いた後、心を痛め悲しみ、かつまた国家の理想、住民の安定した生活を実現するために全力を出し切ったリャンシャンボのこの精神にとても感動し、チュウインタイは在学時代に彼と語らった将来の理想と、愛の誓いを断固として守るべきであると思うようになり、ここにおいて、あの嫁入りの時にためらうことなく命を絶ち行動を共にし、覚悟の自殺をしたのである。


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